河原 栄, 佐久間 大輔, 古畑 徹, 赤石 大輔
日本菌学会大会講演要旨集 55 17-17 2011年
キノコ蝋模型発見のいきさつ: 2004年に金沢大学旧理学部生物学科の標本庫から,キノコの蝋模型30点が発見された.当時そのキノコ模型について来歴を知るものは一人もおらず,廃棄される予定であったが筆者の赤石が保存を望み2010年まで金沢大学五十周年記念館角間の里に保管されていた.2010年9月に開催された石川きのこ会の20周年記念きのこ展で,この標本の一部が公開され,筆者の佐久間が東京大学総合博物館小石川分館のものと同じではないかと指摘したことから,この標本についての調査が始まった.結果: 鋳型を用いた蝋模型をムラージュといい,東京大学のキノコ標本はムラージュとの説明がある.金沢大学のキノコ標本も細部の構造再現状態などからムラージュであると考えられた.また金沢大学のイロガワリと記されている標本が東京大学のイロガワリタケと記されているものと酷似していた.両標本を同じ方向から観察すると互いに同じ形に見えた.キノコ標本の台座には整理番号が記入されており,東京大学のイロガワリタケ標本の数字を確認したところ,金沢大学のイロガワリと同じ17であった. 金沢大学理学部の前身である四高の歴史において,キノコの蝋模型が作られたと推定される年代頃に,菌類の教育に関連したと考えられる植物学の教官に市村塘(いちむら・つつみ)がいる.市村は1895年に東京帝国大学理学部を卒業し1897年に第四高等学校に赴任した.日本薬用植物図譜,石川県野生有用植物などを著している植物学者であり,ドクササコを初めて記載したことでもよく知られている.市村が教鞭をとっていた時代に使われていたキノコの手書き掛け図も存在する.おそらく市村が四高での講義資料として本標本群を東京大学から導入したのではないかと考えられるが,推測の域を出ず,その真相についてはさらに詳しい調査が必要である.