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大阪産業大学研究者データベース

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国際学科

研究者リスト >> 北野 雄士
 

北野 雄士

 
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研究者氏名北野 雄士
 
キタノ ユウジ
URL
所属大阪産業大学
部署国際学部国際学科
職名教授
学位学術修士
科研費研究者番号70177856
J-Global ID200901066429024098

研究分野

 
  • 人文・社会 / 社会学 / 歴史社会学
  • 人文・社会 / 思想史 / 日本政治思想史

学歴

 
 
 - 
1985年
大阪大学 人間科学研究科 社会学
 
 
 - 
1977年
京都大学 法学部 
 

論文

 
 
北野 雄士   
大阪産業大学論集社会科学編   (114) 31-41   2000年   
 
大阪産業大学論集人文科学編   (99) 2005/01/14   1999年   
日本の近代化路線に大きな影響を及ぼした横井小楠と福沢諭吉の文明観と政策論を比較した論文。小楠は儒教的文明観に従い、公論重視の政体論、民衆本位の経済政策論、国家平等主義的外交論を展開した。これに対し、諭吉は西洋文明国への仲間入りを目標とし、科学、市民精神、国民国家思想の導入を図り、小楠と同様公論を重視し、民衆本位の経済政策論を唱えたが、その外交論は西洋文明国を頂点とする国際秩序観に基づいていた。
 
北野 雄士   
大阪産業大学論集人文科学編   (91) 179-192   1997年   
19世紀前半技術的に合理的な農書を著した大蔵永常の「近代性」の内容を考察するために、筑波常治とT.C.スミスの永常像を検討した論文。筑波常治は、永常が「農本主義」に染まっていない点を根拠に永常の特異性を強調し、T.C.スミスは、近代日本の経済成長の前史として、江戸後期の農業生産力の上昇に注目し、永常を生産力上昇の思想的技術的担い手の典型例とみてその普遍性を強調した。
 
北野 雄士   
大阪産業大学論集 社会科学編   (100) 69-82   1995年   
江戸時代後期、主に大阪、江戸で活躍した農学者、大蔵永常は従来、その農業技術及び経済観の合理性が注目されてきた。 本論文は、①明治以来の永常研究史を概説した上で、②技術的、経済的合理性に加えて「国益」増大への関心及び公共精神の内容を明らかにし、③更に江戸時代の農学者、農業技術者、一般農民の中に永常を位置づける作業の一環として、同時代の近江の養蚕家、成田重兵衛との思想的比較を行ったものである。
 
私学研修   (135・136) 24-32   1994年12月   
本稿は、日本の近代化と近世農民の思想との関連を探究する準備作業として、共に19世紀の前半に活躍した大蔵 永常と二宮尊徳の思想的特質を、比較により解明しようとしたものである。 共通点は科学的思考、民衆を撫育する義務を領主に課したことである。 しかし、永常は民衆の利潤追求を肯定し、経済合理的農業経営を勧めたのに対し、尊徳は報徳思想に基づき、民衆に対して欲望の制限、領主への報恩のための勤労、公共のために富を使うことを要求した。

MISC

 
 
北野 雄士   
大阪産業大学論集 人文・社会科学編   16(16) 35-57   2012年10月   [査読有り]
本論文では横井小楠が夏、殷、周の治世を理想とする三代の理念をどのように形成し、なぜ30代半ばにこの理念を唱えたのかを考察した。三代理念提唱の思想的契機としては、小楠が天保14年肥後藩士と始めた『近思録』会読が考えられる。『近思録』は、己を修めて先王の道を天下に及ぼすという三代の理念を、北宋の大儒の言葉を通じて強調する。社会的背景には、天保10年以降の肥後藩における米価下落や天保14年の台風災害による民衆の窮乏がある。
 
北野 雄士   
大阪産業大学人間環境論集   9(9) 23-40   2010年3月   [査読有り]
幕末における肥後藩改革派の理論的指導者であり、越前藩政や幕政にも深く関与した横井小楠は30代以降、政策論や書簡の重要な箇所で、孟子の言葉を引用している。小楠が孟子のどのような言葉を引用したかを調べ、孟子の思想のどのような側面に共鳴したかを考察すると、為政者は民衆の生活苦に触れて生じるあわれみの心を政治に拡充して、民衆をいつくしむ政治を行わなければならないという仁政思想を特に受容していたことが分かる。
 
北野 雄士   
大阪産業大学人間環境論集   7(7) 43-65   2008年6月   [査読有り]
本論文では横井小楠と水戸学の関係を考察した。小楠は20代水戸学的な尊王攘夷思想の傾向があったが、30代以降水戸学の形式的な歴史叙述を批判し、朱子学の立場から神道を根本とする水戸学との違いを自覚していた。ペリーが来航した45歳の時には一時攘夷を唱えたが、その後西洋文明を学び、開国して西洋文明を摂取して国力を高め、平和国家を目指すべきだと考え、表面的な武力の充実と節倹を主張する水戸学を批判するようになった。
 
居安正   春日雅司   依田博   北野雄士   
49-68   1985年   
文部省科学研究費助成調査報告書:本調査報告は、鳥取県下の地方議員を対象とするアンケート調査の概要である。第4章は地方議員の集票行動を扱っている。調査結果を統合すると、地方議員はまず親族、地区組織、友人などの身近な人間関係に基づいて集票し、それでも当選できない場合、政党、商工団体、農業団体などの既存の組織に支援を求めたり、後援会を組織したりしていることが明らかになる。

書籍等出版物

 
 
北野雄士(担当:編集)
法律文化社   2018年3月20日   (ISBN:9784589039057)   
 
北野 雄士, 井上 俊, 伊藤 公雄他(担当:共著)
世界思想社   2010年9月      
 
河井徳治, 手島勲矢, 浅井伸一, 北野雄士, 原田一美, 井口秀作, リングホーファー, マンフレッド, 木村英二(担当:その他)
三修社   2004年3月      
幕末の志士横井小楠原理主義的ともいえる儒教徒でありながら、なぜ激しい時代の流れに柔軟に対応し、新たな日本の枠組みを構想しえたのかという問題を解明するために、近世儒教徒文化との生涯にわたる関わりと、時の課題であった西洋に対する態度に着目した論文。小楠は熊沢蕃山、大塚退野、平野深淵から深い影響を受け、豊かで平和な民衆の生活を何より重視する理念を確立し、過去に囚われず西洋文明を導入することでその理念を実現しようとした。
 
平成12~15年文部科学省科学研究費補助金基盤研究(C)(2)研究成果報告書   2004年      
江戸時代、水戸学や国学において「万世一系」の天皇家の存続に基づく自民族中心主義が唱えられ、武士層にも需要されて幕末、維新期、意志後の政治に多大な影響を及ぼした。横井小楠は、最初水戸学の影響を強く受けたが、後に安寧で豊かな民衆生活と平和な国際秩序の実現を目指す「三代の道」の視点を獲得して水戸学から脱却した。本報告書は、小楠における自民族中心主義の克服過程を跡付けることを通じて、近世武士層とナショナリズムとおいう問題の一局面を解明しようとしたものである。

講演・口頭発表等

 
 
北野 雄士   
横井小楠と変革期思想学会   2010年9月12日   
 

所属学協会

 
 
   
 
日本社会学会
 
   
 
関西社会学会

共同研究・競争的資金等の研究課題

 
 
横井小楠の遺稿および関係資料の書誌的研究
日本学術振興会: 科学研究費助成事業 基盤研究(B)
猪飼 隆明 森藤 一史 沖田 行司 吉村 豊雄 三澤 純 野口 宗親 八木 清治 北野 雄士 
研究期間: 2004年 - 2006年
 
研究期間: 2000年 - 2003年

研究テーマ