ナポレオン三世が起案し、セーヌ県知事オスマンが実施したパリ大改造は、第二帝政が崩壊しオスマンが失脚した後も一部継続された。中でも、レオミュール通り(rue Réaumur) の開設事業は、1900年のパリ万博に向けメトロを地下に敷設し市内の交通渋滞を緩和すべくパリ市の最重要計画の一つに位置づけられた。また、建物の高さと立面の張出しに関する規制緩和(1882,1884,1902年)と連動し、パリで初となる「ファサード・コンクール(Concours de Façad...
sous la direction de Werner, SZAMBIEN et, Simona TALENTI(担当:分担執筆)
ACTION ARTISTIQUE DE LA VILLE DE PARIS 1999年1月
パリとその文化遺産を対象としてパリ市によって進められ ている論文集 < Collection Paris et son Patrimoine >(パリとその文化遺産)の一環として、パリ市第Ⅱ区のソンティエ地区とボンヌ・ヌーヴェル地区が取り上げられ、そこに“Mutation du tissu parcellaire”(地割組織の変遷)というタイトルで寄稿した。拙稿では、現行の地籍図(cadastre,1991年版)から地割(parcelle)を抽出し、GIS(地理情報システム)を用いそれらを...