Department of International Studies

北野 雄士

キタノ ユウジ  (Yuji Kitano)

基本情報

所属
大阪産業大学 国際学部国際学科 教授
学位
学術修士

研究者番号
70177856
J-GLOBAL ID
200901066429024098
researchmap会員ID
1000107812

論文

 20
  • 北野雄士
    大阪産業大学論集 人文・社会科学篇 23(23) 25-43 2015年2月28日  査読有り
    本論文は横井小楠がなぜ『書経』の中で特に堯や舜という古代中国の神話的皇帝の描かれている諸編(「二典三謨」)を重視したのかを考察し、その諸編が君臣間の率直な討論及び徳性と能力による後継者選抜の物語を含み普遍的で開かれた政治理念に立脚しているからであると結論づけたものである。
  • 北野 雄士
    大阪産業大学論集 人文・社会科学篇 19(19) 83-104 2013年10月31日  査読有り
    横井小楠の政治理念の基軸をなす「三代の理念」の形成に朱子・呂祖謙編の『近思録』の精読が与えた影響を、両者に共通な考え方や用いられている語句に基づいて考察した論考。
  • 北野 雄士
    大阪産業大学人間環境論集 12(12) 1-23 2013年3月  査読有り
    横井小楠の三代理念について、30代までの前期と40代以降の後期との間の連続性と非連続性を考察した論文。修養に基づく仁政という大原則には変化はないが、後期になって西洋文明との接触や越前藩で殖産興業に関与したことなどによって、その政策論は近代国家にふさわしいものに変化した。
  • 北野 雄士
    横井小楠と変革期思想研究 (5) 50-67 2010年7月  
    本稿では、横井小楠が30代から40代初めに書いた漢文「南朝史稿」(未完)について、①執筆動機、②込められたメッセージ、③小楠の為政者論の中での位置を考察した。その結果、①について、南朝の忠臣への敬慕、後醍醐天皇批判を、②について、内部抗争が収まるかどうかは藩主の心次第という、水戸藩士へのメッツセージを、③について、「南朝史稿」の「祖宗之天下」-「一身之私」の枠組と、30代半ばの「三代」-「私智」の枠組との類似性を指摘した。
  • 北野 雄士, キタノ ユウジ, Yuji KITANO
    大阪産業大学論集 人文科学編 116 101-116 2005年  
    横井小楠は文久2年から3年にかけて松平春嶽の側近にあった時期に様々な献策を行なっている。本稿はその時期の代表的な三つの献策を分析し、献策に込められた究極目的を考察したものである。小楠は日本の国論が分裂して内乱が正じ、欧米諸国が国政に介入することを恐れ、文久2年には全国大名会議、文久3年には、関白、将軍、大名に欧米代表を加えた国際会議の開催を提唱した。このような提案がなされたのは、国論を統一し内乱を回避して日本の独立を維持するためである。

MISC

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  • 北野 雄士
    大阪産業大学論集 人文・社会科学編 16(16) 35-57 2012年10月  査読有り
    本論文では横井小楠が夏、殷、周の治世を理想とする三代の理念をどのように形成し、なぜ30代半ばにこの理念を唱えたのかを考察した。三代理念提唱の思想的契機としては、小楠が天保14年肥後藩士と始めた『近思録』会読が考えられる。『近思録』は、己を修めて先王の道を天下に及ぼすという三代の理念を、北宋の大儒の言葉を通じて強調する。社会的背景には、天保10年以降の肥後藩における米価下落や天保14年の台風災害による民衆の窮乏がある。
  • 北野 雄士
    大阪産業大学人間環境論集 9(9) 23-40 2010年3月  査読有り
    幕末における肥後藩改革派の理論的指導者であり、越前藩政や幕政にも深く関与した横井小楠は30代以降、政策論や書簡の重要な箇所で、孟子の言葉を引用している。小楠が孟子のどのような言葉を引用したかを調べ、孟子の思想のどのような側面に共鳴したかを考察すると、為政者は民衆の生活苦に触れて生じるあわれみの心を政治に拡充して、民衆をいつくしむ政治を行わなければならないという仁政思想を特に受容していたことが分かる。
  • 北野 雄士
    大阪産業大学人間環境論集 7(7) 43-65 2008年6月  査読有り
    本論文では横井小楠と水戸学の関係を考察した。小楠は20代水戸学的な尊王攘夷思想の傾向があったが、30代以降水戸学の形式的な歴史叙述を批判し、朱子学の立場から神道を根本とする水戸学との違いを自覚していた。ペリーが来航した45歳の時には一時攘夷を唱えたが、その後西洋文明を学び、開国して西洋文明を摂取して国力を高め、平和国家を目指すべきだと考え、表面的な武力の充実と節倹を主張する水戸学を批判するようになった。
  • 居安正, 春日雅司, 依田博, 北野雄士
    49-68 1985年  
    文部省科学研究費助成調査報告書:本調査報告は、鳥取県下の地方議員を対象とするアンケート調査の概要である。第4章は地方議員の集票行動を扱っている。調査結果を統合すると、地方議員はまず親族、地区組織、友人などの身近な人間関係に基づいて集票し、それでも当選できない場合、政党、商工団体、農業団体などの既存の組織に支援を求めたり、後援会を組織したりしていることが明らかになる。

書籍等出版物

 4
  • 北野雄士 (担当:編者(編著者))
    法律文化社 2018年3月20日 (ISBN: 9784589039057)
  • 北野 雄士, 井上 俊, 伊藤 公雄他 (担当:共著)
    世界思想社 2010年9月
  • 河井徳治, 手島勲矢, 浅井伸一, 北野雄士, 原田一美, 井口秀作, リングホーファー, マンフレッド, 木村英二
    三修社 2004年3月
    幕末の志士横井小楠原理主義的ともいえる儒教徒でありながら、なぜ激しい時代の流れに柔軟に対応し、新たな日本の枠組みを構想しえたのかという問題を解明するために、近世儒教徒文化との生涯にわたる関わりと、時の課題であった西洋に対する態度に着目した論文。小楠は熊沢蕃山、大塚退野、平野深淵から深い影響を受け、豊かで平和な民衆の生活を何より重視する理念を確立し、過去に囚われず西洋文明を導入することでその理念を実現しようとした。
  • 平成12~15年文部科学省科学研究費補助金基盤研究(C)(2)研究成果報告書 2004年
    江戸時代、水戸学や国学において「万世一系」の天皇家の存続に基づく自民族中心主義が唱えられ、武士層にも需要されて幕末、維新期、意志後の政治に多大な影響を及ぼした。横井小楠は、最初水戸学の影響を強く受けたが、後に安寧で豊かな民衆生活と平和な国際秩序の実現を目指す「三代の道」の視点を獲得して水戸学から脱却した。本報告書は、小楠における自民族中心主義の克服過程を跡付けることを通じて、近世武士層とナショナリズムとおいう問題の一局面を解明しようとしたものである。

講演・口頭発表等

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共同研究・競争的資金等の研究課題

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研究テーマ

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  • 研究テーマ
    近世武士層の宗教的エートスと日本の近代化
    キーワード
    近世武士層,宗教的エートス,近代化
    研究期間(開始)
    1992/04/01
  • 研究テーマ
    M.ヴェーバーの政治論
    概要
    研究期間(開始)
    1976/04/01
  • 研究テーマ
    社会変動論と明治維新
    キーワード
    社会変動、日本、近代化
    概要
    研究期間(開始)
    1985/04/01